BMW Motorrad Japanが主催するGSトロフィーでコースディレクターを担当する、ジャーナリストの松井勉(まつい・つとむ)さんに話を伺うことにした。松井さんは1988年に四輪のナビゲーターとしてパリダカに初参戦し完走。また1992年には、途中リタイヤしたものの、バイクでパリダカに参戦した経歴の持ち主だ。
では、当時のパリダカとは、どんな意味を持つレースだったのだろうか。
松井 僕はパリダカに参戦する日本人ドライバーのお手伝いで1987年に初めてパリに行ったのですが、ヨーロッパはパリダカ人気が大いに盛り上がっているときで、街にはスクーターに紛れて、パリダカ・レプリカのようなオフロードマシンがとても多かったですね。
そもそも軽量コンパクトで、石畳のような荒れた路面にも強いオフロードバイクはヨーロッパの街中で人気だったのですが、当時のオフロードバイクはオフロードでの性能を追求するあまり、タンクやヘッドライトが小さくなっていました。
しかしパリダカ・レプリカ的なバイクは、オフロードバイクをベースにしながらもダブルヘッドライトで夜道も明るく、ガソリンも多く積めた。デイリーユースにはもってこいのバイクだったんですね。そうすると、冒険心に溢れながらも、いつも街で見るバイクが競い合うパリダカが注目を集め、パリダカでの成績が車両の販売台数にも影響を及ぼすようになります。
当然、1981年と83年にユベール・オリオールが、84・85年とガストン・ライエが勝利したBMW Motorradは、その知名度と販売台数を伸ばしていくわけです。そしてライバルメーカーたちは、販売台数を伸ばすためにもパリダカで勝てるマシン、打倒GSを目指して大排気量2気筒マシンを開発していったのです。
BMW MotorradのオフィシャルYoutubeチャンネルでは、今後、ナビゲーターのジョイ・ルイスを中心に、R nineT Urban G/Sで走るダカールの映像や、ユベール・オリオールのインタビュー動画なども公開予定です。ナビゲーターのジョイ・ルイスは、アメリカ・カリフォルニア在住の女性。10代前半、父からプレゼントされたバイクによってその楽しさに目覚め、現在は数多くのビンテージバイクを所有しながら、ビンテージ・フラットトラックレースやビンテージモトクロスレースに積極的に参加しているエンスージアストだ。また有名スポーツブランドの海外小売り部門を担当しているほか、アメリカで開催される女性オンリーのバイカーミーティングの開催などもサポートしている。