松井 じつはBMW Motorradは、パリダカが始まるずっと以前からオフロードレース、とくに数日にわたってオフロードを走行する都市間レースや耐久レースで好成績を収めていました。もちろんそのときも水平対向2気筒エンジンやシャフトドライブというBMW Motorradの伝統的なディテールを採用していました。そして、そのディテールがオフロードにおいても優位性を発揮することを理解し、さらにオフロードで運動性能を高めるためのノウハウを蓄積していったのです。
またパリダカを含めた都市間レースやアドベンチャーレースと聞くと、多くの人が広大な砂漠や荒れた山道だけを走っていると想像します。でも、ギュッと引き締まった路面の山道や砂漠、または整備された舗装路を使い、長距離を移動することも多い。
かつてのパリダカに関しては、総走行距離1万3~4000kmで、その約半分は移動セクションなんです。そこでは荒れた路面コンディションや深い砂漠で有利な軽量な単気筒マシンより、ライダーを疲れさせないBMW Motorradに有利な点が多かったんですね。
パリダカには、ニジェール共和国にあるテネレ砂漠を通るルートが組み込まれていました。そのテネレ砂漠は砂が硬くしまっていたので高速での巡航が可能で、BMW Motorradは130~140km/hで巡航することができたそうです。しかし当時BMW Motorradのライバルだった単気筒エンジンのマシンたちは、そもそもパワーで劣っているうえに砂の抵抗などで100km/hくらいしか出せない。その巡航速度差で4~5時間のSSセクションを走れば、そこで生まれる差はとてつもなく大きくなります。
それまでの、ガレ場や砂丘など軽快な運動性能が要求されるセクションでは単気筒マシンの優位性を発揮できましたが、そこで生まれる差はわずかで、じつは高速巡航区間での差がレースに大きく影響したんです。こういった長距離ラリーにおける戦略に長けていたのがBMW Motorradであり、後にライバルメーカーたちが、これに追従していったのです。
当時のバイクマーケットを振り返ってみると、R 80 G/Sがデビューする少し前から、他メーカーから次々とオフロード専用モデルが登場。また経済成長とともに、当時世界のバイクマーケットの中心だった先進国の道路環境が整備されてくると、オンロードとオフロード、各モデルの専用設計化が進み、両カテゴリーのスタイルやスペックが乖離し始めていた。R 80 G/Sがデビューしたのは、まさにそのタイミングだったのだ。
また当時R 80 G/Sのような、大排気量多気筒エンジンを有するオフロードモデルはほとんど存在しなかった。したがってその優位性を説き、大排気量デュアルパーパスというカテゴリーを造り上げたのがG/Sだったのだ。そのG/Sはバイクが持つ魅力や走行フィールドに対して多角的にアプローチし、その進化とともにファンも広げて行った。
BMW MotorradのオフィシャルYoutubeチャンネルでは、今後、ナビゲーターのジョイ・ルイスを中心に、R nineT Urban G/Sで走るダカールの映像や、ユベール・オリオールのインタビュー動画なども公開予定です。ナビゲーターのジョイ・ルイスは、アメリカ・カリフォルニア在住の女性。10代前半、父からプレゼントされたバイクによってその楽しさに目覚め、現在は数多くのビンテージバイクを所有しながら、ビンテージ・フラットトラックレースやビンテージモトクロスレースに積極的に参加しているエンスージアストだ。また有名スポーツブランドの海外小売り部門を担当しているほか、アメリカで開催される女性オンリーのバイカーミーティングの開催などもサポートしている。